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2007年5月14日更新
世界初の女性ニャティティ奏者向山恵理子 a.k.a アニャンゴ
遠いアジアの国、日本から来た女の子が、男の楽器「ニャティティ」を弾き、現地の言葉で歌をうたっているものだからさあ大変。「握手をしてくれ!」「一緒に写真をとってくれ!」「うちの家族に挨拶にきてくれ!」「あなたの大ファンです!」とケニア中が大騒ぎになった。2007年1月から3月のケニア滞在では連日、テレビ・ラジオ・新聞に取り上げられ、「ニャティティを弾く日本人の女の子、アニャンゴ」が一大ブームとなった。 ニャティティとは、ケニア西部に住むルオー族の8弦の伝統弦楽器だ。足にはガラという鉄鈴をつけリズムを作り、手では弦をはじきながら演奏し、歌う。リズムも歌もいたってビートフルで自然に体が動いてしまう。ニャティティの音楽を聴いたら誰もが踊りださずにはいられなくなってしまうほどの、ノリのある音楽だ。 私は初めそれを、ナイロビのボーマス・オブ・ケニア(ケニアの各部族の伝統芸能が見られる所)で見た。「何かケニアの楽器を身に付けたい。この楽器なら、ソロで充分に聴かせられる。それに、そんなに難しくなさそうだし!」と、あまり深く考えずにニャティティを選んだのであった。(しかし、難しくなさそうにみえたのは、名人とはいとも簡単そうに楽器を弾きこなすからなのだ、と後で身にしみて理解することになるのだが、、) 友人を介して、ナイロビの師匠、ニャムングを紹介してもらった。そしてナイロビの師匠を介して、ルオーランドの村の奥地に住む大師匠、オクムを紹介してもらった。わたしはこの大師匠のもと、奥地の村で半年間の修業をした。マラリアにもなったし、虫も食べたし、地酒も浴びるほど飲んだ。朝起きたらまずは水くみに行き、焚き木を拾い、家の掃除をした。ルオー語しか通じない世界であったが、ルオー族の生活の営みをこの身体に叩き込みたいと願い、やれることはなんでもやった。 いつのまにか、シアヤ(キスムからさらに2時間。ニャティティ発祥の地)周辺の住民たちから、「シアヤの娘アニャンゴ!」「ルオーの娘アニャンゴ!」「オクムの娘アニャンゴ!」と呼ばれるようになっていた。そしてニャティティの修業を始めてから半年の05年11月、師匠二人とルオー族の長老・村人たちを前に、アニャンゴの免許皆伝の試験がおこわなれた。牛を買い、ヤギを買い、ニワトリを買い、酒を買い、そして師匠たちが演奏する。最後が私の番だった。緊張はしなかった。ただ、今まで本当に本当にお世話になってきたルオーランドのみんなに、感謝の気持ちをたくさん込めて演奏した。 「ヒャララララ〜〜〜」と村人たちは大盛り上がりでダンスダンスダンス!!アニャンゴの一言一言に大爆笑が起こる。最後は全員総立ちで大フィーバーし、この日の試験は終わった。無事に師匠たちからも、アニャンゴを正式なニャティティ奏者として認める、というお墨付きをもらい、「世界初の女性ニャティティ奏者」という看板をいただいた。これほど光栄なことはなかった。(この日の演奏が「NYATITI-Luoの魂-」としてCDになっています。詳細は下記。) 「アフリカの水を飲んだものは、また再びアフリカに帰る。」ということわざがあると言う。今の私は、まさにそれだ。ケニアに焦がれてやまないのだ。惹かれてやまないのだ。アフリカで暮らす、ということは理想やきれいごとだけではすまないこともたくさんある。だからこそ、日本にいる時には身につけることのできなかった「たくましさ」「強さ」を私はケニアで身につけることができた。ケニアが私を強くした。そういっても過言ではない。私は今、人生のもう半分の勉強を、ケニアで学んでいる。ケニアにいたら、たくましくならずにはいられない。強くならずにはいられない。それこそが、私がケニアに惹かれ、通い続けている理由だろう。 * Nyatitiについて:Nyatitiとは8本の弦からなるケニア、ルオー族伝統弦楽器で、背の低い椅子に座り、右足首にはGARAという鉄の鈴を、右足親指にはoduongoという硬い鉄のわっかをはめ、Nyatitiの木のヘリにそれを打ちつけながら演奏するというスタイルが特徴である。なぜルオー族ではこの楽器は男性しか弾いてはいけないのかというと、ルオー族の男性にとって大変意味のある、生まれてからの四日間、亡くなってからの四日間が、それぞれNyatitiの弦の上の四本、下の四本に当たるのだ。ルオー族の女性は、その日数が一日減り、三日間ずつに意味があるのだという。したがって、ルオー族にとっては「男性のみ」にしか演奏することが許されない楽器なのである。
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